主に愛でてます

きっと今 僕に映っている 輝いた 君だけに恋してる

キスマイと私の歩み(前編)

 

タイトルを見て

何勝手にお前と同じ道キスマイに歩かせとんねん

と思った方ごめんなさい。無駄にロマンチック感を求めてしまい、こうなった。これからタイトル通り、キスマイと私の話をしたいと思う。実はこれがブログを書こうと決めた時に、一番最初に書きたいと思ったテーマなのである。

これは私がKis-My-Ft2という存在を知り、現在のように応援するようになるまでの約6年の話。きっとムダに長くなりそうなので(そうです。タイトルを見て御察しの通り、後編もあるんです)初めに簡潔にまとめてしまうと

 

2010年頃キスマイの存在を知る

2011年デビューが決まったときに、なんとなく応援しようと決める

2012年初めての魂参戦で好き度が増す

2014年以降多忙により魂に行けなくなり、

2015年氷河期に入る

2016年3年ぶりのI SCREAM魂参戦によりどハマりする

 

という内容をダラダラ書いていくだけなので、お時間のある方が暇つぶしに読んでくだされば嬉しい。

話を始める前に。これは、自分がキスマイを客観的に見れていた時間のことを忘れないために書く忘備録のようなものなので、過去についてありのまま書いていこうと思う。人によっては少しお見苦しい表現を使ってしまうかもしれないが、ご了承いただきたい。

 

まず、私は以前のエントリーで書いた通り、現在嵐さんと掛け持ちをしているキスマイ担である。実は、キスマイを気になりだしたきっかけも嵐さんだった。ここら辺は記憶が曖昧だが、私が初めてキスマイというグループを知った時期は確か2010年で、ちょうど嵐を好きになりアイドル誌を買い始めた時期だ。まだこのときの嵐は今よりも若手のイメージが強く、後輩とのエピソードを聞くことがあまりなかったように思う。けれど、時々雑誌などで嵐さんの言葉から「キスマイ」という単語が出るのをチラチラ見かけた。その時に買ったドル誌では彼らの裸の写真が多かったのか、当時の私のキスマイの印象はチャラくてよく雑誌で脱いでいる人たちだった。笑 ただ、嵐の担当である翔くんのことをガヤと千賀さんが慕ってくれていることを知っていたので、悪いイメージはなかった。あとはドワンゴで祈りとFIRE BEATが配信された時のCMの印象が強かった。この頃個人で認識していたのは、嵐のハウズ魂のDVDに出ていた藤北と、「フリーター、家を買う」に出ていた横尾さんと、翔くんと親交がある千さんだったかな。「ごくせん」で玉は見たことあったけどキスマイのメンバーってことは知らなかったかも。

そして2011年。この記事を書くにあたって、私が初めてキスマイを生で見た機会を思い返したら、この年のマーチングJという募金イベントだった。と言っても、当時の私のお目当てが違うため、キスマイを「見た」という感覚がないのでこれはほぼノーカウントの出来事とする。ちゃんと「見た」という記憶があるのは、この年に偶然観に行った、JUMPくん出演のSUMMARYで、キスマイがゲストとして出演した公演だった。そこまで鮮明な記憶はないけれど、「FIRE BEATかっけぇ」と軽率に思っていたはず。

デビュー前の「美咲ナンバーワン」はほとんど観ていなかったけど、この間DVDを借りて観たときになぜか香里奈先生と大政絢ちゃんがケータイの早打ちバトルをしていた場面だけ覚えていた。全然藤北活躍する場面じゃないけど。笑

確かこの頃からキスマイならみっくんのことが好きだった。良く分からないけど、ドラマを観るまでガヤよりみっくんがメインのキャラだと思っていたくらいだ。まぁそんなに格差があるドラマじゃなかったけどね。

キスマイを好きになったのは私より母が先で、母はファンクラブが発足する前のJr.情報局にもキスマイのためにこの頃入会した。嵐ファンとして2年目だった私は、嵐の過去の番組などをよく某サイトで漁っており、もっと前から好きでいたかったなぁと感じていた頃だ。そして、新しくデビューするグループが決まったら、そのグループを好きになってデビューからの映像を残そうというよく分からない野望が生まれた。そんなタイミングでデビューが決まったのがキスマイだった。というわけで、私がキスマイを好きになったきっかけはデビュー落ちというなんとも微妙なきっかけであった。「美男ですね」落ちのファンならたくさん見たことがあるけど、私と同じような人っていないような。笑 美男ですねはしっかり観ました。

だけど、この時キスマイが良いタイミングでデビューしたからという理由だけで好きになったわけではない。デビュー前の曲やデビューシングルに収録されている曲を聴いて、そのクオリティの高さを感じ、かっこいいも可愛いもできるパフォーマンスの振り幅が広いところを見て、「この人たちを応援したら楽しそう」と思ったからである。

デビューシングルを買ったときに、姉に「誰が好きなん?」と聞かれ、「んーこれ」とみっくんを指差したときに、初めてみっくんのことを好きだとしっかりと自覚した気がする。ちなみに、それを聞いてみっくんのことをまじまじと見た姉は、「え、これ櫻井翔じゃん」と言い、自分がこういう顔がタイプなんだと改めて知らされた。

番組を残しておきたい欲と同じように、CDやDVDもどハマりしてから集めるより今からコツコツ集めといた方が良いと思った私は、母がファンなこともあり、デビュー以後CDやアルバムはほとんど発売の度集めることができた。(正確に言うと、母が購入してくれていたので、家に自動的にコレクションされていた)けれど、ほとんどそれらをじっくりと鑑賞することはなかったので、まだお茶の間ファンレベルの時期である。

2012年。この年に発足したFCに入った母の名義が当選し、初めてキスマイのコンサートに行くことになる。私のキスマイの初参戦はミント魂だった。この時期、ご縁がありいろんなジャニーズグループの魂に行かせてもらったけれど、その中でもこのミント魂は飛び抜けて楽しかったという覚えがある。なので参戦後、キスマイ魂は私と相性が良いのだと勝手に思ったりする。その時に美男ですねで若干キスマイに興味を持っていた姉が人生初のジャニーズ魂に参戦して、「Sing for you」のお玉を見て見事に落ちた。*1ここで姉が完璧にキスマイ担としてジャ二ヲタデビューしたことで、私がキスマイに触れる機会が更に増え、ゆるヲタ期が長くなった気がする。そしてこの頃濱キスやキスブサの特番が始まり、とりあえず映像を残しておきたい欲がある私は、これらのバラエティ番組を毎回録画するようになる。真剣に情報を漁ったりはしないが、番組欄でキスマイが出ると知った番組や、メンバーが出るドラマも大体撮っていた。

2013年、相変わらずゆるーくお茶の間ファンとしてキスマイを見ていた。この年に私は高校生になり、中学と同じ部活を続けた。高校の部活は中学の時よりも活動日数が多く、この年からヲタ活がしづらい環境に身を置くことになる。しかし、そんな時にGoodいくぜ!のアリーナツアーが決まる。初めてアリーナに行った私は、信じられないほど近い距離でキスマイを見ることになる。だが、その日は部活の大切な本番の3日前のことだった。せっかく会えるチャンスだとゆるヲタながら思ってしまい行ったけれど、当日まで行くかどうかめちゃくちゃ悩んだ。実際行ったことは後悔してないが、このことに罪悪感を覚えてしまった私は、ここからキスマイとの距離*2を置くことになる。

2014年。相変わらずレギュラー番組は録画する。時々姉に頼まれてWSとか特番とかも撮る。でも魂は行かなかった。というか行けなかった。

思い出したエピソードがあるので一つ。この年に部活で海外に行く機会があり、ちょうどその頃アルバム「Kis-My-Journey」が発売されて、毎晩ダイスキデス、FORM、Only One...を聴いてから寝ていた。(間にあるガヤソロはガチガチのバラードで、聴いてると寝落ちしそうだったので飛ばしていた。ごめんねたいぴ・・・)異国の地で寂しい気持ちにならないように聞いていた記憶があるのだが、この時の私はバリバリの嵐担だったので、普通そこは馴染みのある嵐聴くっしょ。と過去の自分にツッコみたい。ただ、キスマイのジャニーズのキラキラとした感じにavexサウンドが盛り込まれた独特な楽曲は、当時、聴くと普段とは違う気持ちになれたので、海外にいる特別感とマッチして自然と聴いていたのかもしれない。

2015年。魂に行かなくなったせいか、自分の中からキスマイの存在が薄れていく。気づけばレギュラーの毎週録画を辞めていた。確認したところ、テレ朝のレギュラーは濱口パイセンがいなくなってからほとんど観ることがなくなり、キスブサも個人的に面白い回だけ録画を残していた。ここから2016年8月までが冷め期のピークかな。この頃は部活や進路関係で時間に余裕がなく、キスマイに対してというか嵐や他のジャニーズにも離れていた時期だった。あ、でもアルバムは聴いていた。母は基本CDは車でしか聴かない主義で、アルバムを買うと1ヶ月くらいかけ続けるから、車に乗せてもらう機会が多かった私は自然と曲を把握していた。Double Upがどタイプの曲で、車でかかるとドキドキしていた覚えがある。

2016年。私がキスマイから離れていと同時に母も関心が薄れていったのか、とうとうずっと集めていたシングルを買わなくなる。これにより、本当にキスマイと私を繋げるものがなくなってしまった上半期であった。しかし、この年に大学生になった私に、またキスマイと会えるチャンスが訪れるのである。それがI SCREAM魂だ。姉もミント魂に参戦した時よりも熱は冷めていたし、母はCDを気まぐれで買うようになっていたが、ツアーの時期はなぜか張り切って、購入したアルバムをしっかり車の中でかけてくれて、すっかりキスマイについての知識がなくなった私に予習をさせてくれた。と言っても私が安かった初回Bの方を選んだため、ソロの予習はほとんどできず、ニカちゃんが女装をするという情報しか得ていなかった。久しぶりのキスマイ魂で、その空気感についていけなかったらどうしようと恐れた私は、とりあえず参戦する前日にJourneyのDVDを引っ張り出し、その空気感を思い出そうとした。Journey行けてないけど。やはりキスマイ魂は無条件に楽しく思えて、大好きだと感じた。実は、I SCREAMでは初めて母と姉の名義が同時に当選し、初の2日参戦を果たすことになった。1日目は、東京ドームで初のアリーナ席だった。横アリの時よりも距離を感じたものの、やっぱりスタンド席よりもメンステやセンステが近く、会場に入った瞬間にやたら緊張した。公演中は楽しかったが、やはり予習を怠ってアリーナに入ってしまったことを反省した・・・。2回目の参戦は1日置いてからだったので、その中日にもっと情報を得ようと思い、ソロのMVなどを某所で観た。(この後しっかり初回Aも買ったよ。)やっぱりジョッシーのMVが好きだった。スタンド席はかなり後ろの方だったけれど、OPのYES! I SCREAMで観客が全員ペンラを振っている様子が見渡せて、本当にパレードの中にいるみたいで感動して少し涙ぐんだ。

帰り道にTwitterで検索して同日に参戦した人たちの感想を見て、うんうん。そうだよね。と楽しい思い出に共感し、心が満たされて、それでまたキスマイとの繋がりは一旦切れるのだと思っていた。ジャニーズ以外のグループも含めて、他の人のコンサートに行った私もそうやって今まで嵐以外にハマらずにいたから。けれど、この時は少し違ったみたいだ。

参戦中にドカン!と熱が上がったりはしなかったけれど、何日か経っても、いや、時間が経つほど、心にジワジワくるものがあった。きっとI SCREAMってそういうコンサートだった。

そんな状態の参戦2日後、あるDVDの存在を思い出した。この年の初めに発売された「Kis-My-WORLD」のDVDである。実際このDVDが発売されていたということを当時の私は知らなかった。そういや去年行けてないツアーの映像出てるんだっけ。と、ふと思い出したのであった。母に聞いてみたところ、「あ、そういや買ってたわ。玄関辺りのAmazonの箱に入ってるかも」と、親切なんだかザツなんだかよく分からない言葉を聞き、半年以上家に放置されていたDVDを見つけたのであった。きっとここから、今まで10歩くらい歩いたところで踏みとどまっていた私の中の「キスマイとの歩み」が進み始めたんだと思う。

にしても母、買ったものを玄関先に放置するクセはどうにかしよう。私がキスマイにハマってなかったら、WORLDのDVDずっと玄関先で眠っているところだったよ。

こうしてキスマイに興味を持ってから約6年経った頃、私はようやくあの沼の入り口に片足を入れたのであった。けれど、私が彼らを本当に応援するようになるまでには、ここからまたしばらく紆余曲折するのだが、その話はまた後編で。

 

*1:ちなみに我が家には3人女性がいて、母がガヤ担、姉が玉担、私がみつ担である。見事に趣味が違うことが分かるネ。

*2:心の距離というか物理的な距離